【わたしの少年時代】
農作業を手伝う
本田伸一
少年時代を過ごしたのは湖北の小さい集落であった。村のほとんどは農業を生業としていた。わが家も農家であった。当時はまだ農業の機械化が進んでいなかった。貧しい我が家では機械化はずっと後になってからである。
それだけに農繁期は猫の手も借りたいほど忙しかった。田起こし、田植え、稲刈り、脱穀などの作業は中学生でも十分役にたった。学校の休みの日はもちろん、学校が終わると急いで帰り、田んぼに向かった。
作業の中で好きだったのは、まず、「田植え」である。根気よく手で植えていく。腰が痛くなるので、時々立ち上がって、植え終わった跡を見ると自分のがんばりがわかって気持ちがよかった。
次に、秋の「稲刈り」、鎌を使って刈り取っていく。ザクザクという音が小気味良く、気分がいい。
そのあと、束にした稲を集めて、五段の稲架(はさ)掛けする作業もよく手伝った。
さらに、「脱穀」、足踏み式の脱穀機に足を置いて、踏み込みながら稲束を手に持って差し込んでいく。そうすると籾がはじけ飛ぶ。この脱穀機は「がーこん、がーこん、……」とあたりに鳴り響く。のどかで、歌うような調子であった。
「田植え」のぬるっとした土の感覚、「稲刈り」の「ザクザク」の音、「稲わら」の手触り、脱穀機の「がーこん」の音色、これらの感覚は、今も頭の片隅に残っている。
【随筆】
八十歳の壁を乗りこえる
本田伸一
つい最近、八十歳になったばかりの私に、サークル仲間がこう言った。
「今まで元気だった知り合いが、八十歳になったとたん、がたがたと弱ってしまった。あなたは大丈夫?」
別の人も、
「来年八十歳になるが、聞くところによると、八十歳になると、がくんと落ちこむらしいよ」と。
これを聞くと、そうかもしれないと思ってしまう。最近、自分も、体力の衰えを感じたり、消極的な考えに落ちこむ時がある。
十八年間、熱を入れていたボランティア活動も休止の状態だし、太極拳も昨年までは試験を受けるのに必死だったが、今年はそれもない。俳句は良い句が作れない。文芸サークルの作品も書く材料に困り、頭打ちにあるように思う。
ところが、このような弱気な気持ちになってはいけないと、私の心の師である中村天風氏がおっしゃる。
天風氏は、明治九年生まれ。ヨガの聖者に出会って、インドに渡り、ヨガの修行から得た人生哲学を、多くの人々に広めた方である。それが書物になっている。それを、もう一度読み直す。
天風氏は言う。「心の思考が人生を作る」と。
「およそ人生には、人生を厳格に支配している一つの法則がある。それは、原因結果の法則である。『蒔いた種子のとおり花が咲く』という法則なのである」
さらに、
「いかなる場合にも、常に積極的な心構えを保持して、堂々と人生を活きろ」
「人間が年齢を考えて、うんぬんするというのは滑稽極まる話ではないか。いくつになっても、いかなる場合も、自己向上を怠らないようにすること」と。
このようにいわれると、冒頭に書いた会話はもちろん、最近の私の心情も、消極的な考えに傾いていて、悪い結果を生む種をまいている。
今日も、サークルの仲間がこう言った。
「もう太極拳ができるのも二,三年だな」と。
私より若い人である。そんなこと考えていたら、そのとおりになってしまう。
「人のふり見てわがふりなおせ」だ。自分はこのような消極的な考えは捨てて、積極的な考えに従うことにした。
太極拳は、最近、先生のおっしゃることが、少しずつ分かりかけてきた。自分の体のこともそうである。課題に全力で取り組んでいけば、まだ上達する余地はある。そうすれば、一層健康になって社会に役立つことができよう。
俳句も、これからは新しい句をどんどん作って、新聞の投句も増やそう。
文芸サークルについては、視野と関心を拡げることによって、いい作品を生みだして、引き続き「菜の花」の誌面に載せてもらおう。
身体の疲れを感じたら、「元気! 元気! 元気!」と唱えて、マイナスの気分を打ち消そう。
このような願望ともいえる積極的な目標を掲げるのは、天風氏のおっしゃる「蒔いた種子のとおり花が咲く」を確信してのことである。
かくして、勇気と信念を持って突き進んでいき、八十歳の壁を乗りこえたい。